気持ちを知らず知らずごまかしたり、おしこめて嘘ついて生きていると、本当はどうしたいのかが自分でもわからなくなる
自分の気持ちがきちんとわかりますか?
自分はどう生きたいのかわかっていますか。
そこまで大きい問いではなくても、
自分がそのときどう感じていたのだろう
どういう意見を持っているのだろう
考えていますか?
うれしいのか
悲しいのか
楽しいのか
退屈なのか
賛成か
反対か
どちらでもないのか
たとえば誰かと話していて、同意を求められたことに対して
なにげなく、うなずいていないだろうか。
本当はその人の言ったことに違和感を感じたのに。
相手と違う意見を言うことで、反感を買うまいと、その場しのぎの回答をしていないだろうか。
わたしは10代20代と、人の顔色を必要以上に気にするやつだった。
もともと引っ込み思案な性格で、相手にどう思われるかをすごく怖がって生きていた。
あと、誰とでもうまくやることが善だとも思っていたから、
割とどんな人ともあたりさわりなく、会話をしていた。
だから、会話の中に、自分がそうでないと思っていたり、違うなとかいうことも
なんとなく同意していた気がする。
誰と話していても、にこやかな姿勢を崩さず、楽しそうにしていた。
まあ、だからまわりの人にはおだやかな人とか、
おとなしい人みたいなイメージがあったと思う。
すべてそうではないけど、過去の自分の行動にはそんな風潮があった。
でもあるとき、気づいた。
何をやっていても、感動が薄く、楽しいとかつまらないとか、はっきりとした感情が湧かないことに。今、楽しいのだろうか。自分でもそれがよくわからない。
リアルタイムの自分の気持ちが自分で説明できなかった。
自分で自分がわからないということは、何をしたいかもわからない。
だから、実際の気持ちは違うかもしれないのに、人の意見に合わせてしまったり、
流されやすくなる。
これではいけない、と思った。
どうしたら、自分の気持ちがわかるようになるだろうかと考えたら、自分の気持ちに嘘をつかなければいいのかもしれないと考えた。
誰かが自分の考えと違う意見に同意を求めてきたとしても、そんなこと思っていやあしないのに、そうだねなんて首を縦に振ることをやめるんだ。
正直に、そうは思わないということを言おうと思った。
そりゃあ、相手を傷つけることが目的ではないから、
内容によっては言い方を工夫する。
意識的に、違和感を感じる意見やそう思わないことに対しては自分の思いを正直に伝える。
自分の意見や気持ちを積極的に人に伝えてみる。
まだまだ訓練中ではあるが、ちょっとずつ行動を変えてみたら、
少しずつ、自分の好きなものが見えてきた。
楽しいことに敏感になり、やりたければどんどんやるようになった。
正直に意見や気持ちを言って嫌われたら?と怖がる気持ちもわかる。
でも、案外、自分がその人と違う意見を述べたからといって、
怖がるほどの影響はないとわかった。
それに、めいっぱい人がいるなかで、
その誰からも好かれるなんて夢みたいにムリなことと気づくと、
誰かに嫌われたところで人生終わりでもないし、その人との関係性だけで生きているわけではないから、ふっきれる。
誰だって嫌われる可能性ある。
それを誰からも好かれないと自分はダメなやつ、みたいに思っているから
つらくなる。
まあ、人間は必ず死ぬし、それまでの時間が膨大にあるわけでもない。
刻々と死に近づくなかで、誰かに嫌われないように自分を消して生きているのも勿体ないし、嫌われたからといって、それにぐじぐじ悩んでいるほどの時間があったら、同じ時間をやりたいことをやる時間にしたほうが明らかに得だ。
ぱたぱたっ