ぱたこの頭のなか

アラサーのぱたこです。なんだかいろいろなものに手をつけてどれも中途半端になって少しだけ戸惑う人生です。でも、そんななかでもちょっぴり開きなおってみて、好きな映画や音楽、モノやコト、思っていることなど、私の頭のなかで悶々とうごめいていることを綴ります。それで自分でも何かに気づいたり、何か変化するきっかけになればいいなとの目論見もありつつ。。お気が向いたらぜひ、頭のなかを覗いてやってください。

気持ちを知らず知らずごまかしたり、おしこめて嘘ついて生きていると、本当はどうしたいのかが自分でもわからなくなる

自分の気持ちがきちんとわかりますか?

 

自分はどう生きたいのかわかっていますか。

 

そこまで大きい問いではなくても、

 

自分がそのときどう感じていたのだろう

どういう意見を持っているのだろう

考えていますか?

 

うれしいのか

悲しいのか

楽しいのか

退屈なのか

賛成か

反対か

どちらでもないのか

 

たとえば誰かと話していて、同意を求められたことに対して

なにげなく、うなずいていないだろうか。

本当はその人の言ったことに違和感を感じたのに。

相手と違う意見を言うことで、反感を買うまいと、その場しのぎの回答をしていないだろうか。

 

わたしは10代20代と、人の顔色を必要以上に気にするやつだった。

もともと引っ込み思案な性格で、相手にどう思われるかをすごく怖がって生きていた。

あと、誰とでもうまくやることが善だとも思っていたから、

割とどんな人ともあたりさわりなく、会話をしていた。

だから、会話の中に、自分がそうでないと思っていたり、違うなとかいうことも

なんとなく同意していた気がする。

 

誰と話していても、にこやかな姿勢を崩さず、楽しそうにしていた。

まあ、だからまわりの人にはおだやかな人とか、

おとなしい人みたいなイメージがあったと思う。

 

すべてそうではないけど、過去の自分の行動にはそんな風潮があった。

 

でもあるとき、気づいた。

何をやっていても、感動が薄く、楽しいとかつまらないとか、はっきりとした感情が湧かないことに。今、楽しいのだろうか。自分でもそれがよくわからない。

リアルタイムの自分の気持ちが自分で説明できなかった。

 

自分で自分がわからないということは、何をしたいかもわからない。

だから、実際の気持ちは違うかもしれないのに、人の意見に合わせてしまったり、

流されやすくなる。

 

これではいけない、と思った。

どうしたら、自分の気持ちがわかるようになるだろうかと考えたら、自分の気持ちに嘘をつかなければいいのかもしれないと考えた。

誰かが自分の考えと違う意見に同意を求めてきたとしても、そんなこと思っていやあしないのに、そうだねなんて首を縦に振ることをやめるんだ。

正直に、そうは思わないということを言おうと思った。

 

そりゃあ、相手を傷つけることが目的ではないから、

内容によっては言い方を工夫する。

 

意識的に、違和感を感じる意見やそう思わないことに対しては自分の思いを正直に伝える。

自分の意見や気持ちを積極的に人に伝えてみる。

 

まだまだ訓練中ではあるが、ちょっとずつ行動を変えてみたら、

少しずつ、自分の好きなものが見えてきた。

楽しいことに敏感になり、やりたければどんどんやるようになった。

 

正直に意見や気持ちを言って嫌われたら?と怖がる気持ちもわかる。

 

でも、案外、自分がその人と違う意見を述べたからといって、

怖がるほどの影響はないとわかった。

それに、めいっぱい人がいるなかで、

その誰からも好かれるなんて夢みたいにムリなことと気づくと、

誰かに嫌われたところで人生終わりでもないし、その人との関係性だけで生きているわけではないから、ふっきれる。

 

誰だって嫌われる可能性ある。

それを誰からも好かれないと自分はダメなやつ、みたいに思っているから

つらくなる。

まあ、人間は必ず死ぬし、それまでの時間が膨大にあるわけでもない。

刻々と死に近づくなかで、誰かに嫌われないように自分を消して生きているのも勿体ないし、嫌われたからといって、それにぐじぐじ悩んでいるほどの時間があったら、同じ時間をやりたいことをやる時間にしたほうが明らかに得だ。

 

ぱたぱたっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説の中毒性

おもしろい小説は楽しい。

読み始めると、止まらなくなる。次から次へとページをめくる。

ごはんを食べたり、寝るのも忘れたりする。

 

読み終えるまでひたすら読んでいたくなってしまう。

 

つい最近、めずらしく小説にはまった。

いつも読むことが多いのが、ビジネス書やエッセイ、自己啓発書のたぐいで、

読むことは読むけれど、小説を率先して読むことがなかった。

 

それというのも、小説は読んだところで、

単におもしろいというだけであくまでエンタテイメント、

ビジネス書なんかのように、ノウハウや知恵、考え方などが

身に着くものでもないと思ってしまっていたからというのがある。

単純にただおもしろい!ていうだけのために

わざわざ本を読めないと思う気持ちもあった。

 

だが、それは恥ずかしい話、読書量が圧倒的に足りていなかったのだろう。

 

先日、没頭した小説は時代小説のシリーズもの。

高田郁さんのみをつくし料理帖シリーズ。

 

www.amazon.co.jp

 

これが全10巻なのだけど、最初の「八朔の雪」から

どんどんひきこまれて、次が読みたくて仕方なくなる。

図書館で借りて読んでいたのだけど、

このシリーズを読んでいるときは、何をするよりも、

この小説を読むことが第一優先になり、予定より早く1巻読み終えれば、

またすぐに図書館へ向かい、次の巻を借りに行っていた。

瞬く間に読み終えるのも、もったいないから、

少しずつ借りていたのに、読み終えてしまえば

我慢できずに図書館へ行ってしまい、もったいぶったのも意味がなかった。

 

仕事もほどほどに、ひたすら小説を読み、

どんなに夜が更けようとも、ずっと読んだ。

まだ冷え込む時期だったから、やりすぎて風邪もひく始末だった。

 

なぜこんなにハマることができたのか。

少し前に雑誌「BRUTUS」で小説特集をやっていて、

そのなかに紹介されていた、料理が出てくる小説がまとめて

掲載されていたページに特にひかれ、そこに載っていた本を

順繰りに読んでみていたのだ。

 

そこに前述した「八朔の雪」もあった。

 

まず、料理の食べるシーンや料理をつくるシーンがある小説が好きらしいというのがひとつ。

料理の味や温度、見た目が手に取るようにわかったり、頭のなかに思い浮かべられるくらいの表現にグッとくる。

 

それから、時代小説であり、わたしの興味をひく江戸時代の話だというのがひとつ。

もともと20代前半、司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」にも夢中になり、

新撰組から江戸時代も好きになっていた口だ。

 

あとは、出てくる登場人物の魅力と恋愛、事件、料理と

テンポよく展開していくストーリーに満足。

すごい派手な話ではなく、ドキドキハラハラすることもないけど、

あたたかみもある、心が満たされる作品。

 

もう全巻読み終えたけど、また読み返したいと

今度は1冊ずつ買い揃えようとしている。

 

読んでいて、江戸の暮らしぶりにもまた興味が一層わいてきて

掘り下げたくもなってきた。

 

今回、中毒のように、小説にハマって気づいたのは、

小説をもっと読んだほうがいいということ。

 

今までは、読む量が少なすぎただけで、

自分が好きだ!てものに出会ってなかっただけ。

 

何も学べないわけではなく、

今回のように江戸時代への興味が再燃したり、

自分の興味がどこのにあるのか知れたりもする。

 

 

なんだ、小説っておもしろかったんだ!

 

いまさらだけど。

これからさらに、いろいろな小説を読みふけよう!

 

ただし、ひとつだけ注意したいことが。

それは、おもしろい小説は、

おもしろいビジネス書などより、圧倒的に中毒性が高いこと。

 

くれぐれも翻弄されすぎないように。。

何事もコントロールできないほどの浸かりすぎはよくない。

戻ってこれなくなる。。

 

ぱたぱたっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友達が少ないのはダメなのか?

わたしは友達が多いほうではない。

というか、少ない。

 

頻繁に会う人は少なく、少ない友達と時折、会うくらい。

ほとんどの外出はひとりだし、何かに参加するときも最近は結構ひとりだ。でも、ひとりだからって、寂しかったりとかもほとんどなく、元来ひとりで行動するのは好きなので特別困ったりしていない。

 

わたしは独身で今はひとり暮らしなので、家にいるときもひとりということになる。

それでもあまり寂しいということもない。家のなかでも案外、やることがたくさんで寂しいなどと思う暇もないということもある。

 

それでも、何故か、少し前までは友達が少ないことに

引け目というか、自分はダメな奴なのかなあみたいな風に

とらえていた。

 

幸せな人というのは、大勢の友達に囲まれている、というような

すり込みとかイメージがあったかもしれない。

とある中学生たちが電車のなかで、「LINEの友達が100人しかいない」みたいなことを友達同士で話していた。

それを聞いた私は、それだけいれば十分とは思ったけれど、

その子たちのなかでも、友達が多くいる方がすごい、友達少ないのはよくないみたいな風潮があるのだろう。

 

でも、最近は思う。

友達が少ないことは悪いことなのか?と。

実際、いざというときに助てくれる人が多いほうがいいというのはある。ただ、あまりに友達が多すぎても、まんべんなく気持ちを傾けられるわけではない。多ければ多いほど、それだけ関わりは希薄になる。

人に与えられた時間はそんな多いわけではなく、友達にたくさんの時間を使えるほど、余裕がなかったりもする。

ただ、友達といつも一緒だったり、わいわいやっているのが好きという人もいるから、友達との時間を優先する人もいる。

 

結局は人それぞれ。友達が少ないのが肌に合う人もいる。それでいいんだ。そのことに人と比較して、「わたしは友達が少ないからダメなのか?」となる必要もないはずなのだ。

 

世の中には、友達の数だけでなく、仕事でも人脈を広げたほうがよいとかいっているビジネス書とかもある。でも必ずしもそれが自分にとっての正ではない。少ない人との関わりのなかでも自分らしく仕事をしている人もいるだろうし。

 

まあ、無駄な悩みに時間を費やすのが徐々にばからしくなり、

もう自分のこのままでいいじゃないか、

という気に年齢を重ねるごとになっていってる。

気楽になっていっているのかなと思う。

友達が少なくても別段気にしないで生きたい。

それで自分に価値がないわけではない。

 

だからといって、新しい出会いや気の合う人との時間がなくてもいいと思っているわけではないから、その辺はタイミングや縁があれば広がっていっても構わないというかむしろそうあってほしい。

 

どこに力を入れていく、何を優先していくかって

ことにも繋がるのかな。

 

 

ぱたぱたっ

 

 

 

 

 

 

 

ドレッシングは自家製がベスト!

ドレッシングって、割と簡単に作れる。

 

昔はドレッシングてのは買うものだと思ってた。

でも、友達が遊びにきてくれたときにささっと

醤油、砂糖、酢、ごま油でサラダ用にドレッシングを作ってくれた。

それを見て、なるほど、ドレッシングは作れるのだと認識した。

 

ただ、その当時は、たまに友達が作ってくれたドレッシングの

真似をして作ることはあったけど、基本的にドレッシングは

買っていた。

 

でも今、再びひとり暮らしで生活していると

逆にドレッシングを買うことが結構手間に感じる。

それは買い物をする時間もばかにならないということと、

ドレッシングって賞味期限内にたいてい使いきれないから

作ってしまった方が無駄にならないし、しかも節約になる。

ドレッシングの瓶のゴミも出ない。

 

作ると言っても、そんなたいしたドレッシングは作らない。

ごまドレッシングや友達が作ってくれたのと同じのだったり。

サラダとかだと塩とオリーブオイルだけでもよかったりする。

味ぽんも買わなくなった。

どなたかのブログで、醤油に柚子を絞るだけでも味ぽん代わりになると書いてくれていて、試してみたら充分おいしかった。

 

なので、これからもドレッシングとか味ぽんは買わないだろうと思う。

 

ただ、まあマヨネーズは買ってしまっているけど。

埼玉県の株式会社ななくさの郷の「松田のマヨネーズ」を使っている。

自然の原料にこだわったマヨネーズ。

平飼いで遺伝子組み換えでない餌を食べる鶏の卵で、非遺伝子組み換えの菜種油にリンゴ酢、海水塩、蜂蜜などを使用。

www.nanakusanosato.com

↑のマヨネーズは自然食品店で購入中。

最近使う調味料は、ほとんどスーパーでは買わなくなった。

醤油、味噌、塩など。できるだけ自然の製法で作った

添加物などが入っていないものを選ぶ。

その方がおいしいし。

 

実はちょうど今日、ごまドレッシングを作ってみていて、

そのときに味の濃さとかがいい塩梅で、

とってもおいしいなって思った。自分好み。

 

というか、市販のドレッシングを買わないで作っていると

市販のドレッシングの味の濃さが自分の舌に合わなくなってくる

てのも感じた。

添加物とかも気にするようになってからは、市販のドレッシングの

成分表示を見ると、恐ろしくなる。

 

なんかとりとめなくなったけど、

言いたいことは自家製ドレッシングはいいぜ!ってことでした。

 

ぱたぱたっ

 

 

 

 

 

常識を疑うということ

常識を疑う心があったほうがいい。

 

昔はわたしもそうだったけど、

きっとその当たり前みたいなのは、たかだかここ数十年で

できただろう価値観だと思うのに、割とみんな、

それを信じきっている節がある。

 

けっこう、「こうでなければならない」って思想が多くの人にあって

それが気づかぬうちに足かせとなっていて自分がしんどくなっている

ってことがある。

 

前にかいたブラジャーのこともだけど、

以前はブラジャーをつけないという選択肢は自分の中になかった。

だって当たり前だったから。

でもそれが気づかぬうちに、血流を滞らせて

体をむくませたり肩こりをひどくさせていた。

ブラジャーが出来たの自体、

そんなに昔の話ではないはず。それならそれまでは

ブラジャーなんてなかったのだからブラジャーを着けることも

当たり前ではないはずだ。

 

あとは働かないやつはダメだ的な考えとかもそう。

わたしは今、グルメ系のライター業をたまにしながら、

普段はコールセンターでアルバイトをするという生活で

世の中で呼ばれているような言い方をするならフリーターだろう。

この歳でフリーターやっているなんて言ったら、

世間的には心配されてしまうのかもしれない。

うっかり人と比較してときたまへこむこともそりゃああるのだけど、

基本的にはあまり気にしていない。正確には徐々に気にしなくなった。

 

それはやっぱり、よく考えてみると

みんなが正社員として就職してというのが当たり前みたいになったのは、

恐らくサラリーマンとかが誕生した戦後で、

(まあ歴史とかみてないのであくまで想像の範囲なんだけど)

どう考えても、今みたいに誰しも働くのが当たり前だ的な考えに

なったのはここ数十年の話に思えるからだ。

 

わたしの予想では、過去はもっと多様で

学校卒業して会社に就職して結婚してみたいなモデルから

はみ出ているなんて人はいっぱいいたはず。江戸時代とかなら浪人とか、その日暮らしの人もいただろうし。

というか、きっと人の数だけやり方や生き方があるのに

それを均一な価値観で固められてしまっているんだろうな。

だからしんどくなる。

 

でもなかなか自分が常識に縛られているのって気づきずらい。

知らないうちに自分の首を真綿で締めつけているのに

わからない。

そんな当たり前なこと!みたいな感覚があるものとか

自分がいつも普通にしている行動をちょっとでもいいから

なんで自分はそれをしているのか?って疑ってみると

少し世界が広がるかもしれない。

 

それとか、いろいろな価値観に触れられる本を読むってのも

かなり有効だ。

わたしもそれでかなり助けられたり、

新しい視点を与えてもらっている。

 

今日書いたようなことを考える視点を与えてくれた良書のなかの1冊、

(ていうかほぼこの本の受け売り的なかんじになっているが)

京大卒、元ニートのpha(ファ)さんの著書

「持たない幸福論」

目から鱗の価値観で必読です。

 

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない | pha | 本 | Amazon.co.jp

 

ぱたぱたっ

阿佐ヶ谷の映画館・ユジク阿佐ヶ谷がお気に入り

最近、ハマっているいるもののひとつが映画。

DVDを自宅で観るのでは集中力が持たず、

たとえいい映画でも、だいたいが途中で寝てしまう傾向にある。

だから映画を観るときは極力、映画館で観たいと思う。

 

そこで、会員にもなりよく行くようになったのが

阿佐ヶ谷にあるユジク阿佐ヶ谷。

昨年末に初めて訪れ、気づいたら毎週のように通っていたので、

だったら会員の方がお得じゃん!てことで会員にもなった。

なんで、ユジク阿佐ヶ谷がいいんだろう?

 

ユジク阿佐ヶ谷を好きになった主な理由を4つ挙げてみた。

 

①上映作品のセレクトがツボ

 

②小規模でシアターがひとつだけだが、きちんとしたシネマチェアで観れる

 

③ロビーに灯油ストーブがあったり、一枚板の椅子が置いてあったり、上映作品をイメージしたチョークの絵が大きな黒板に書かれていたり、空間そのものが自分に合う

 

阿佐ヶ谷駅から近く・中央線沿線が好きなことと、阿佐ヶ谷駅の静けさ、過ごしやすさがより映画館にも行きやすくしている

 

やっぱり①が最も大きな理由。

1週間や2週間単位でテーマが設けられ、

それに合った上映作品が上映される。

例えば、ミュージカル映画特集では、

オズの魔法使い」や「ロシュフォールの恋人たち」を上映。

オズの魔法使いは、昔、DVDで観てとても気に入っていた映画。

それを映画館で観れるということで、とても心がときめいた。

この間の「わたしの不思議な恋の世界」というテーマのときもそうだ。

10年以上前に人気を博した「アメリ」を上映した。

アメリの世界観がとても好きだったから、また映画館で観られることに

感激した。そして、映画館で観直したことで、当時気づかなかった魅力も再発見しさらに「アメリ」が好きになった。

本当にユジク阿佐ヶ谷は、わたしの感性のツボを刺激してくださる〇

②とか③てのも重要で、何気に映画館の空気感が自分に合っている。

④は、ユジク阿佐ヶ谷さんに通うようになり、阿佐ヶ谷の街の魅力に気づいた。中央線沿線はもともと好きだったのだけど、阿佐ヶ谷はまだノーマークだった。でも映画館に行くようになって、街を散策してみると、ほどよい人の量と町並み、そしていいお店も点在していて好きな街になった。

これって、言うなれば地域活性にも繋がっている。

 

わたしは、この1~2年で、アップリンクさんやユジク阿佐ヶ谷さんのような

映画館にハマり、自分の住む所沢や狭山のあたりで

同じような映画館ができないかと妄想している。

ユジク阿佐ヶ谷さんは、そんなわたしが考える理想の映画館として

今のところ一番理想に近い気がする。

 

ユジク阿佐ヶ谷さんは、20代の女性支配人で

その感性や考え方があらわれているのだと思う。

 

わたしも自分の感性も盛り込んだ

他の人にもたくさん喜んでもらえる映画館が作りたいと思う。

それまでユジク阿佐ヶ谷さんとか、

たくさん映画館に通っていっぱいいいとこ吸収するぞ!

 

ユジク阿佐ヶ谷はかなりおすすめなので、

映画好きでなくとも行ってみるとよいです。

 

ぱたぱたっ

 

ブラジャーをつけないことのススメ

実はわたし、黙っていましたが…

ブラジャーつけてません!

 

いつから?

うーん、でも最近です。

ここ、2~3年のこと。

 

でも、それがとてもいい。

まず、ワイヤーとかホックとかの跡が肌に残らない。

締め付けもないし、肉がはみ出たり、ブラジャーが合わずに

気持ち悪いなんてこともない。

 

あと、合うブラジャーを探すのに、

試着とか買い物に行く必要もないのは必要以上に

時間と労力を使わなくていいし。

 

今はタンクトップを着用している。

〇首の形が出てしまうんじゃって?

わたしはあまり、ぴったりした服を着ないので

基本的には見た目に響きづらいのだけど、

ちゃんと〇首が響かないように、胸の部分に

パットが入れられるポケットのあるタンクトップも

あるから平気なのです。

こちらのお店のを着用しています。

 marruマアル 肌とココロを愛おしむ布ナプと肌着

(友人に教えてもらったのだけど、ここのはパンツもゴムが最小限の使用で、締め付けがないので、血の巡りもよくなってお尻も冷えづらいですよ)

 

たまに、ワイヤーがないブラジャーなら

付けることもあるけれど、

ブラジャー着けなくても、全然問題なし。

 

個人的にはこうも思っている。

締め付けがなくなることで、

胸まわりの血行が良くなってバストアップにも

繋がるはずだと!

血行が良くなったせいだと思うけど、

少し前まで胸まわりの肌の色は

浅黒かった。

でも、ブラジャー着けなくなってからは

白っぽくなったのです。

 

まあ、もともとブラジャー嫌いとか

なんとなく着けていたとか、

着けるのが当たり前と思ってそれ以外の考えなかった人とか

興味あれば、試してみるといいかも。

わたしはもう、ワイヤーが入ったブラジャーは

着けられません。

 

高校生のときに、ブラジャーを着けていない子がいて

それを見た当時は、そんなこと全く信じられなかったんだけど。。

 

人はそれなりに変わっているのですねえ。。

 

ぱたぱたっ